女優の中谷美紀(2018年12月現在、42歳)がドイツ出身のヴィオラ奏者ティロ・フェヒナーさん(2018年12月現在、50歳)と国際結婚しましたね!

今回の記事では、お二人の国際結婚までの軌跡、そして中谷美紀が国際結婚まで辿り着けた理由について考察していきます。

「中谷美紀は芸能人だから国際結婚できたんでしょ? だから彼女のケースは参考にならない。」

・・・そんな声が聞こえてきそうです。たしかに、芸能人であることによるアドバンテージがあったのは間違いないでしょう。でも、彼女の生き方や考え方そのものに、国際結婚相手を引き寄せる「何か」があったのは事実です。この点については、一般の方であっても大いに参考になる点だと考えます。

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中谷美紀のプロフィール

まず最初に、中谷美紀さんのプロフィールを簡単に紹介します。

・本名 中谷美紀(Miki Natakani)

・出身地 東京都

・生年月日 1976年1月12日(2018年12月現在、42歳)

・職業 女優、歌手

・身長 162センチ

中谷さん、女優になる前はアイドルだったそうですね。1991年から1993年まで「桜っ子クラブさくら組」というグループに所属していたようです。

女優デビューは1993年のテレビドラマ「ひとつ屋根の下」。また、坂本龍一のプロデュースによるシングルCDをリリースするなど、音楽活動もしていました。他には「リング」「電車男」「嫌われ松子の一生」などの映画にも出演していましたね。また、テレビドラマ「JIN-仁-」での共演をきっかけに、綾瀬はるかさんとの親交も深いようです。

受賞歴も豊富で、日本アカデミー賞優秀主演女優賞にも何度か選ばれています。

中谷美紀、国際結婚までの軌跡

(若かりし頃のフェヒナー氏)

中谷さんの旦那さんとなる方は、ウィーン国立歌劇場管弦楽団とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団でビオラ奏者を務めるティロ・フェヒナー(Thilo Fechner)氏。彼との出会いは、2016年の秋。東京サントリーホール30周年記念のガラ・コンサート出演のためフェヒナー氏も来日。その際、知人の紹介で2人は知り合ったそうです。

中谷さんはもともとクラシック音楽にも精通しており、英語やフランス語など語学も堪能。フェヒナー氏とのコミュニケーションでも得意の英語を使い、交際に発展するまでにはそれほど時間がかからなかったようです。それ以降、2年間にわたる9000キロの遠距離恋愛にもかかわらず、お互いに信頼関係を育み、今回の電撃ゴールインに至っています。

「結婚の決め手となったのは彼の人柄」と語る中谷さん。「共に山歩きをする時などは、常にこちらのペース配分に配慮し、自らの楽しみや利益よりも、人の幸せを優先する彼の人柄に惹かれました」と当時の馴れ初めhow she knew he was the oneを打ち明けています。

今後の生活拠点は、オーストリアになるようです。中谷さんはすでにフェヒナー氏の拠点であるオーストリアのザルツブルグに家を借りて同棲living togetherしているそうですよ!しかしこんな素敵な場所に住めるなんて、羨ましい限りですね。また、女優業など仕事がある度に、中谷さんは日本に行き来するとのことです。なんとフットワークの軽いことでしょう!

中谷美紀の触れられたくはない黒歴史とは?

一方、絵に描いたような国際結婚を実現した中谷さんですが、ここまで辿り着くまでには一筋縄ではいかなかったこともあったようです。

2003年には俳優・渡部篤郎(2018年現在、50歳)との不倫affairが発覚したことも。渡部氏は当時妻であったRIKACO(2018年現在、52歳)との離婚後、中谷さんとは堂々とデートする姿も週刊誌等で報じられていました。しかし、渡部氏の浮気が原因で結局二人は破局。

渡部氏とは15年もお付き合いをしたそうなので、ほぼ事実婚de facto marriage / common law marriage状態といわれていました。その間おそらく、いずれは結婚をと望んでいたことでしょうし、15年にも及ぶ事実婚の後の破局は容易ではなかったでしょう。それ以来、中谷さんは大物独身女優としての去就に世間からの注目を浴びていました。

そのような茨の道を通ってきた後のフェヒナー氏との国際結婚。喜びもひとしおだったと思います。中谷さんにとっては黒歴史dark past だったかもしれませんが、人生は決断の連続であると捉えるのであれば、フェヒナー氏と出会うためには避けて通れない道だったのかもしれません。最後にはめでたくゴールインできたのですから、終わり良ければすべて良しですね。

<参考>

黒歴史」の英語は、dark past「暗い過去」という表現をお勧めします。「人に知られたくはない過去」と日本語で読み替えて “the past that you don’t want anybody to know” としてもよいでしょう。ただし、直訳の “black history” は日本語英語のため通じませんのでご注意を!

中谷美紀が国際結婚できたのは、彼女がこれまで積み上げてきた行動や価値観の集大成による!

中谷さんがフェヒナー氏のような男性と国際結婚できたのは、彼女が芸能人という特別な存在であったというのももちろん関係していたと思います。ただ、それ以上に彼女は自分の人生のなかで大事に温めてきたものがありました。それは、抽象的な概念ですが「自分はこうありたい」「こういう将来像を描きたい」という明確な想いです。

日本的価値観にとらわれない広い視野を持つ

中谷さんのこれまでの生き方をみてみると、広い世界観をもってこれまで活動をされてきたことがよく分かります。日本舞踏や茶道など日本文化を尊重する一方で、仕事でもプライベートでも世界中の国々を訪れ、様々な文化慣習に直接触れてきました。その結果、国際情勢や社会問題についての問題意識も高く、偏見のないフェアな批評眼を持つことができました。

中国を訪問した際は、インターネット規制や格差拡大といった問題にも触れつつ、南京で現地の人と交流したエピソードを公開するなど歴史問題を意識したブログ投稿もしていました。

また、インドに長期間一人旅したこともあり「インド旅行記」を出版したことも。

つまり、彼女の意識は常に海外に向けられていたんですね。このような意識を持ち続けていたからこそ、最終的には今回の素晴らしいご縁を引き寄せたのだと思います。

語学も堪能で海外経験も豊か

中谷さんは海外志向が強いため、外国語習得への意欲も同様に高いです。海外旅行が大好きで、オフはパリで過ごすこともあったとか。そんな豊かな海外経験を持つ彼女なので、英語は当然のことフランス語も話すことができるようです。第37回モントリオール世界映画祭にて最優秀芸術貢献賞を受賞した際は、フランス語でスピーチしました。

また、中谷さんは「フランスは第二の故郷」と発言しており、パリではフランス人とお付き合いしていたこともあったそうです。現地に住み、現地の恋人を作ってその国の言葉で意思疎通せざるを得ない状況に自分を追い込むことが、語学上達の近道だということを会得していたようですね。

日頃から細やかな気配りを大事にしている

中谷さんはドラマや映画での仕事においても、周りに対して細やかな気配りができていたそうです。中谷さんを取材した女性自身の記者が次のようなエピソードを語っています。

「お礼状を送ると必ず直筆で返信してくれ、あまりの達筆ぶりに気後れしました。こうした細やかな気配りがあるから大手事務所から独立した後も、仕事が途切れない。中谷の業界人気はピカイチです。」

自立した女性になる

最後に、今回の中谷さんの国際結婚報道では「中谷の大和撫子の側面がフェヒナー氏のハートをとらえた」などという書き方もされていました。実際にフェヒナー氏がそのような発言をしたかどうかは定かではありません。一説によると、これはあるスポーツ紙が書いたものともいわれており、中谷美紀に「大和撫子」像を押し付ける日本マスコミの男尊女卑体質が指摘されています。

反対に、中谷さん自身はテレビのトークショーで「私はお転婆。決して和美人でもないし、大和撫子でもありません」と断言しています。そもそも中谷さんのこれまでの生き方をみても、自分の意思や価値観で行動を続けてきており「男性を立てる大和撫子」とはイメージが異なっていると感じますね。

中谷さんは実力派女優でありながら文筆にも長けているし、大手芸能事務所から独立し個人事務所を立ち上げた経験もあります。一方、旅行やアートなどの趣味も大事にしています。自分という人間をしっかり持った一個人の自立した女性であることは誰から見ても一目瞭然です。

特に欧米男性は自立した女性を好む傾向があるため、フェヒナー氏も彼女のそういった側面に惹かれたのだろうということは容易に想像がつきますね。

まとめ

中谷美紀さんの国際結婚は、彼女がこれまで積み上げてきた行動や価値観なしでは実現しなかったでしょう。彼女にとっての勝因を簡潔にまとめると、次の4つになります。

1.日本的な価値観にとらわれず、世界的視野を広めてきた

2.外国語習得への高い意欲を持ち、海外経験を積むために積極的に海外旅行や海外生活をしてきた

3.周りへの細かな気配りを忘れなかった

4.自立した女性であった

以上の4つは芸能人ではない一般の方でも意識的に実践できることです。中谷さんの成功ストーリーを参考に、ぜひあなたも素敵な欧米人男性を引き寄せてください!